2019年はMOTHERシリーズ30周年という話は前回の記事でしましたが、シリーズ2作目にあたる『MOTHER2』も8月26日に25周年を迎えたそうですね。MOTHER2との出会いについては前回でもちょっと触れましたが、今回は思い出を少し語ろうかと思います。ネタバレも含みますのでご注意ください。
1994年の8月、夏休みももうすぐ終わろうとしていたころ、父が何やら赤いパッケージのゲームソフトを買ってきました。それは当時人気だったSMAPの木村拓哉氏が出演していたCMのゲーム!?特にSMAPのファンだったわけではありませんが、印象深いCMだっただけに内容が気になっていました。
とりあえず父がプレイするというので隣で見ていたのですが、メインキャラクターに名前を付ける画面で父から「主人公の名前は何にする?」と聞かれたので私はこのゲームの発売日の1週間前に生まれた弟の名前を付けることを提案しました。ちなみに女の子の名前は妹の名前。他ふたりのともだちや愛犬の名前は父が適当につけました。
主人公たちに兄弟の名前をつけてしまったこともあってか、まるで兄弟たちの冒険を見守るような感覚になりました。色んな街を一緒に旅行しているみたいでワクワクしたり。戦闘では応援したり、傷ついたときには悲しくなったり。強敵との戦闘は自分(当時小学生にもかかわらず)も手助けできたらなぁと思ってハラハラしながら見ていたものです。
それからラスボス戦まで父のプレイを一緒に見ていたのですが、さすがラスボス戦は一筋縄ではいきません。苦戦する主人公たち。どうにかして主人公たちを助けられないかと思ったところに、まさか自分(の名前)がラスボスにダメージを与えているではありませんか!?いつの間にか父がプレイヤーネーム(冒険の途中で尋ねられる)を私の名前に設定していたようです。
どうにかこうにかラスボスを撃破して感動のエンディングを迎えたのですが、ゲームの中で兄弟たちを手助けできたようでなんだか嬉しくなりました。そして自分もゲームの登場人物として参加させてくれた父の愛情を感じました。
以上、私とMOTHER2と家族の思い出語りでした。ゲームの内容に関する語りや自分でプレイしてみての思い出があんまりなくて申し訳ないです。ゲームって自分でプレイするのも楽しいけど、人がプレイしているのを見るのも一緒にそのゲーム世界を観光しているようで楽しいですよね♪
余談ですが、まさかSMAPも解散してしまうとは当時は思ってもいませんでした。平成がなんだか遠く感じる……